一本の糸の旅 Vol.1 糸の誕生
初めまして。イラズムス千尋と申します。
山と田んぼに囲まれた丹波市で、夫と娘、イヌネコと暮らしながら、丹波布(たんばぬの)と呼ばれる布を織って暮らしています。
こちらの連載では、綿から始まり、草木で染められて布になっていく糸の旅を、皆さまと共に追いかけていきたいと思います。
私の作る丹波布は、綿を手で紡ぎ、草木で染め、手で織り上げる一貫した手作業の木綿布です。
江戸の末期から丹波の青垣周辺で作られ、京都で売られていました。
その後、機械化と共に姿を消し、民芸運動家の柳宗悦に発見されたのを機に復興活動が行われ、60年ほど前に復興しました。
そんな長い歴史のある丹波布ですが、私自身は丹波に移り住むまで、名前くらいしか知りませんでした。
木綿の織をしたいとの思いから、丹波布伝承館の長期教室に入ったのが、丹波布との出会いです。
さて、この時間のたっぷりかかる布。織りあがるまでの第一歩は、糸紡ぎです。
素材である綿を糸車で糸にしていく作業が、この長い旅の第一歩となります。
綿といっても、様々な種類があり、たくさんの国で作られています。
生産国の気象条件等により、綿の繊維の長さが違い、その中でもいくつかの種類に分かれています。
大正紡績株式会社さんの資料によれば、主な綿花の種類は14ほどですが、少量生産の綿花を合わせると、もっともっと多くなります。
綿それぞれにも特徴があり、その中から自分の使いたい綿を選ぶのは、とっても大変で、糸の旅が気の遠くなる長旅になってしまいます。
私の場合、現在主に2種類の綿を使っています。選ぶ基準は、まずオーガニックコットンであること。
原価は普通の木綿と比べると、高くなりますが、そもそも出来上がるまで時間が掛かり、出来上がった布の値段を時給計算すると、笑ってしまうくらい低い賃金になる布なので、それならば、納得したものを素材に使いたいと思い、使っています。
なぜ、オーガニックコットンなのかを語り出すと、とても長くなるのでここでは書きませんが、生産する人も使う人もうれしいものが良いな、といつも思っています。
最近紡いでいるのは、ラオスの綿です。
ラオスで、手織りの工場を立ち上げるプロジェクトをほんの少しだけお手伝いした時に、出会いました。
雨季にメコン川が溢れ、その恵みをたっぷり吸いこんだ土に綿を栽培するという話を聞き、自然の循環の中で無理なく育った綿のストーリーに感動し、使い始めました。綿自体も、程よく粘りがあり紡ぎやすいです。
綿は、ゴミを取り繊維の方向を揃えた“綿打ち”をした状態のものを使います。座布団の中身を薄く広くしたような、シート状になっているので、これを適度な大きさに手でちぎり、塗箸を芯にしてくるりと巻き、きりたんぽのような形状にします。これを丹波地方では、“じんき”と呼んでいます。場所によっては“撚り子(よりこ)”と呼ぶこともあるようです。
この“じんき”もある程度同じ大きさ固さの方が、均一に紡ぎやすくなります。
“じんき”ができると、いよいよ糸紡ぎです。
木綿の糸は、手でくるくる回すタイプの糸車を使います。因みに、羊毛などの動物の繊維には、ペダルを踏んで回転させる糸車が合っています。
この糸車は、昔から使われているものと、構造は同じです。昔の糸車の方が竹をたくさん使い、繊細で軽い使い心地です。
私は新しいものと古いものの2台を持っていますが、古い方にゆがみが出て、そちらは緯糸(よこいと)巻き用に使い、糸紡ぎには新しい糸車を使っています。
綿は、細かい繊維の集まりでできていて、糸車を回転させて綿を引きだしながら撚りをかけることにより、繊維どうしが絡まり合い、一本の糸になります。
この糸紡ぎがスムーズにできるようになるには、個人差がありますが、数日または数週間かかります。
するりと糸になってくれるまで、時間が掛かるので、ひたすら集中と根気が必要です。
紡げるようになっても同じですが、怒ったり、イライラしたりすると、良い結果になりません。心を平穏に、“紡ぐ”ことに気持ちを向けて集中すると、良い糸になってくれます。
そして、同じ細さ、柔らかさで紡ぐには、日々続けることと、何よりリズムが大切です。
まるで、ヨガや瞑想のようです。短い時間でも、良い調子で紡げた後は、ヨガで体と気持ちがほぐれた後のように、すっきりとした充実感があります。
この糸紡ぎ、スムーズに紡げるようになっても、納得のいく糸が紡げるまでは、さらに長い道のりが必要とされます。
織りたい布によって、太さ固さが違ってきますし、そろった糸を紡ぐには、技術と日々の積み重ねが要ります。
私自身、今でもbsetと思える糸までは届かず、ゴールの無い挑戦のようですが、日々bettetな糸を紡ぎたいと思い、糸車に向かっています。
できた糸の出来も大切ですが、糸紡ぎで味わえる、静かな時間がとても心地よく感じられます。
しかし、毎回平穏に集中できるわけでもなく、雑念、妄想にとらわれることもしばしばあります。
そんな雑念、妄想に浸りながら紡いだ糸もよしと受け入れ、日々こつこつと紡いでいきます。
糸車の心棒に巻きつけていった糸が、ある程度の量になると、糸車から外し、真ん中に爪楊枝を入れて、かせ上げまで待機してもらいます。
この丸いピラミッドのような形状を“かぶら玉”と呼んでいます。野菜の蕪からきた言葉ですが、私のかぶら玉は真ん中あたりの、ふっくら感が無く、いつもあっさりとした形になります。
ここで、ようやく旅に出る糸が誕生しました。かぶらの形になった糸は、次の工程に進むべく、しばらく待機です。
次回は、染色のお話をしたいと思います。